涙は、偶然に。〜愛・アムールを観て、ハネケとリンチ〜

 

愛・アムールというミヒャエル・ハネケ監督の映画を観ました。

名作です。

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僕はお年寄りが登場する映画に弱く、たとえば楢山節考を観て大泣きするような人間だったため、この映画も痛く感動しました。ちなみに始まって3分くらいの、アンヌが脳の障害でほうけるシーンで既に泣いていました。

この映画については老後の介護問題、痴呆症についてなど話題は山ほどありますが、その中でもミヒャエル・ハネケ監督の心理描写を一切描かず、事実描写を坦々と撮り続ける、その手法が印象深かったため、それについて書きたいと思います。

 

事実描写と心理描写

そもそも何が事実描写で何が心理描写かの区分は実際にはとても難しいです。

涙を流しているシーンは、その人の悲しみを表現している心理描写なのか、それともただ涙を流したという事実を描写しているだけなのかは、その映像だけからは判断できません。

そのシーンが心理描写なのかどうかということを、どうして映像のみから判断することができないのでしょうか。

それは、心理描写が本来、映像に映らないものを映すことだからです。

心理描写とは、観客がある映像に共感を示し、何かしらの感情を自分の中に再現した時に初めて、心理描写が成立したと言う事ができます。

つまり何が心理描写になり得るかは観客次第、観客の解釈次第ということになります。

 

解釈体系の多様化

観客はそれぞれ、自分の解釈体系を持っています。

会社員の人は労働問題を敏感に感じとり、奴隷映画とかにより共感するかもしれません。

奴隷を観ると「これは俺だ。。。」と感じ、金持ちを観ると「こいつは敵だ。。。」と考えるかもしれません。

今まさに恋に落ちている人は、より多くのものに愛を見い出すことでしょう。

ただ目線があっただけのシーンでさえも、愛の芽生えと考えるかもしれませんし、空や海からも愛を感じ取るかもしれません。

戦争経験者は戦争を忌むべきものと解釈するかもしれませんが、戦争を経験した事のない人は、あこがれの対象として解釈するかもしれません。

とにかく人々の解釈体系は多様化し、それぞれ映画の中に見いだすものも異なります。

そのように乱立した解釈体系の中では、ここでは悲しんで欲しいと工夫を凝らした心理描写でさえ、笑いを誘うものになってしまう場合さえあるでしょう。

 

記号のないハネケ

このような状況において、より多くの人の感情を揺さぶるにはどのような手法をとればよいでしょうか。

それは、当然のように聞こえますが、より多くの人に、それぞれの解釈が許されるように設計することです。

より解釈を開いて行く手法には二つの方向性があります。

その一つ目がミヒャエル・ハネケ監督の手法です。

たんたんと、事実描写に徹するのです。

事実描写に徹することで、主人公のジョルジュはここでどういう風に感じただろうか、と観客が勝手に、自分自身の観たいものを観ます。

事実描写に徹するということは、換言すると、記号操作をしないと言うこともできます。

記号の排除ゆえに、あらゆる記号を読み込ませることができるのです。

愛・アムールでは、なぜだかわかりませんが、重要な場面で、家の中に入ってきた鳩を捕まえるシーンに数分を費やしています。

それがなぜか、どう思って鳩を捕まえたのか?

観客は自由に、自分の好きなように解釈すればよいのです。

 

記号だらけのリンチ

二つ目は、その先鋭的な例として、デイヴィット・リンチ監督の名前を挙げたいと思います。

デイヴィット・リンチ監督の映画は、とてもシンボリックなものとして有名です。

例えばイレイザー・ヘッドでは、奇形児や、脳みそで作った消しゴムつき鉛筆とかなにがなんだかよくわからないものがでてきます。

この手法では、より抽象度を挙げた記号操作によって、解釈の幅を広げることが試みられています。

映画からは離れますが、小説家のカフカの方が分かりやすい例だったかもしれません。

例えば「変身」、主人公が朝起きたら虫になっているのは、引きこもりの心象風景だとか、いやいや実際に虫になったのだよとか様々な解釈が成されています。

 

涙は、偶然に

解釈可能性へと開くようシンボルを操作するリンチと、解釈可能性へと開くようシンボルを排除するハネケ。

この二人のどちらの手法も好きですが、どちらがより感動したかと問われると、今回僕は後者を選びます。

それはただ単に僕の老人ネタを観ると自動的に泣くという解釈体系に偶然一致しただけかもしれませんが。

ですが、この偶然一致させる可能性を挙げることこそが、この二人の試みなのです。

その中で、僕は偶然、愛・アムールを観て涙を流しただけなのです。