ハンナアレント「人間の条件」について 2

2章 公的領域私的領域

アレントの定義では、公的領域私的領域は以下の通りである。
公的領域・・・世界に関わること。政治。異なるもの同士の平等。
私的領域・・・家族の領域。生命の維持に関わる領域。経済的な領域。同一性。

社会的なるものの勃興

上記の分類のように、本来私的領域に収まっている経済的な領域が、近代においては国家全体の問題となった。
それにより、私的領域が全域化してしまい、公的領域が失われてしまったとアレントは述べる。
本来私的領域は家族の領域であったが、その家族が一つの国家全体にまで肥大化し、「社会」と呼ばれる新しい現象を構成するようになった。
社会的な領域が勃興すると、公的領域が失われるのであるから、活動は存在し得ない。
そして、空いた活動のポジションに「行動」が取って代わった。

行動

行動とは、人間の予測可能な行為、統計的に分析可能な行為、経済学的に分析可能な行為である。
それは需要曲線と供給曲線が一致するように、ただ一つの結果へと導かれる行為である。
アレントはそれこそ大衆社会が全体主義へと陥る過程だと強く批判している。

これは現在の日本にもとてもよく当てはまると思う。
経済をうまく回すことに成功している自民党の独裁になっている、と言いたい訳ではない。
アレントは、このように社会が全域化した国家では、人格的支配から官僚制(無人支配)に移行すると指摘している。
なぜならば、行動を支配する原理はただ単に経済効率性だけであるからだ。効率的でありさえすれば、支配者は誰でもよくなることが自動的に導き出される。。
この状態こそ今の日本に最もよく当てはまっているのである。
アベノミクスなど経済問題だけが政治の争点となり、うまく政治を回すことができるのであれば、支配者は「誰であってもかまわない」。
日本の度重なる首相の変更や、政党に対する支持率の低さ、その上での選挙率の低さなどがそれを表している。
(通常現在の政党に不満を持っていれば、それを変えるために投票に行くはずである)
ついでに官僚主導の政治もね。
現在の首相は安倍首相であるが、それも変わりがいないからというだけであろう。

3章 労働

古代では労働は奴隷の仕事とされて、人間的ではなく、忌むべき物だとされてきたけど、
やっぱりお腹が空いたら何か食べるという生命の循環リズムは、生きているリアリティを感じさせるし大事だよねー。
というような事を述べている。

これからははしょりモードで書く事をご許しくださいw

4章 仕事

仕事をするとき、例えば机を作ろうとするとき、こういう机を作りたいという理想像がまずあり、それを実現するための手段として材料を準備したり加工したりするだろう。
このような目的−手段カテゴリーが仕事人(工作人)の特徴だと言ってる。
工作人の考え方では、全てのものを手段としてしか見れなくなってしまうし、
行為の結果が予測可能とする点で活動とは違うよねーと言ってる。

5章 活動

活動は過程であって、結果を予測できない。
成された活動を事後的に「これはこういうことだったんだね」と説明するのが歴史家。
そして歴史家の説明によって、その人の物語(=「正体」フー)が暴露される。

まあ他にも色々書いているが、一言でいうと、活動は定義上予測できない。
そのためにその不確実性を恐れた愚かな人間たちは、活動を予測可能な仕事(製作)の領域に貶めたんだよバカヤローということである。

以上